Kappo 仙台闊歩

CULTURE 2020.05.11

【WEB連載】再録「政宗が目指したもの~450年目の再検証~」第2回 常識はずれの城下町づくり 後編

TEXT=菅野正道
PHOTO=菊地淳智

初代仙台藩主・伊達政宗生誕450年を記念し、KappoVol.87からVol.92で郷土史家・菅野正道さんが集中連載をしていた「伊達政宗の目指したもの」。編集部あてに再録や書籍化の声が多く寄せられた人気連載です。第1回目からのすべての文章を、WEBにて全文公開いたします。

PROFILE

菅野正道(かんのまさみち)

郷土史家。仙台市博物館職員、仙台市史編さん室長を経て、現在はフリーで郷土の歴史を研究している。

弱い軍事的色彩

城下町では、行き止まりの道や鈎形に曲がった道、あるいは迷路のような場所が方々にあり、それは攻め込んだ敵の勢いをそぎ、守りやすくする工夫とされる。また城下の外縁部の要所には寺院をまとめて配した寺町を置き、それは有事の際に防御陣地や砦としての役割を持たせたものとも言われる。

仙台城下でも、江戸時代の絵図などを見ると、行き止まりの道や鈎形に曲がった道は幾つか存在する。ただ、感覚的な印象ではあるが、他の城下町に比べて、そうした複雑な街路は少ないように思われる。

同じ印象は、実際に仙台城下に住んだ人々も抱いていたようである。幕末近い時期に描かれた仙台城下の鳥瞰図も、街路を碁盤の目を基調に描いている。確かに、一部に方向の違う道もあるが、その大部分は地形的な影響であって(例えば、小高い丘陵であった現在の錦町公園付近など)、仙台城下の住人の多くも、仙台は碁盤の目が基調となった街と認識していたに違いない。

城下町防衛の重要なパーツとされる寺町も、仙台では軍事的な意味合いはあまり感じられない。仙台城下で強力な外敵が侵攻する危険性が最も高いのは南方。しかし、政宗が仙台城下で最初に作った寺町は城下北端の北山であった。軍事的な必要度の高い城下南部には、若林区の荒町や南鍛冶町近辺に幾つもの寺院があるが、これらは政宗の晩年に仙台城下を東南方向に拡大した際に配されたもの。上杉氏や徳川氏に南から攻め込まれる危険性が高かった城下建設当初には存在しなかったパーツである。

仙台城下最大の寺町である新寺小路は、現在は多賀城・塩竈へ向かう産業道路に通じるため、交通の要衝と思われがちであるが、これは戦後の道路整備の結果である。新寺小路に並ぶ寺院の由緒を調べると、当初は仙台城下の内部に建立され、後に現在地に移転したという経緯を見ることができる。城下町建設当初は街の中に寺院が置かれたが、城下町が発展するにしたがって、寺院の存在が障害になるとして、政策的に城下の周縁部へ移転させたというのが真相のようである。

このように、街路の状況や寺町の由来を見ても、仙台城下は戦闘に対する意識が薄い構造であることが明らかである。それを明確に示すのが、総構(そうがまえ)である。

戦国時代の終わりから江戸時代にかけて、大きな城郭では周囲の武家屋敷街を堀などで囲み、敵が来襲した際にはそこを防御線とする総構を設けるのが一般化した。もっとも有名なのは、大坂冬の陣総構の有用性を全国に知らしめた大坂城で、また最大のものは神田川などを総構に組み込んだ江戸城である。東北地方でも、会津若松城や米沢城などで総構が設けられている。

しかし、仙台城下に政宗は総構を設けなかった。軍事的な意味合いの弱い寺町の設置や、分かりやすい街路も含めれば、政宗は仙台城下を軍事都市として構想したのではないことが明らかである。

 

近代にも通用する都市計画

このように意図して作られた仙台の街は、その後、若林城造営に伴う南東部への拡張、二代藩主忠宗期の東照宮造営に連動した北東部への拡大を経て、最盛期で推定人口6万人に達する全国屈指の城下町に発展した。

明治時代に入っても、人口規模ではほぼ常に全国ベスト10の地位を維持し続けた仙台は、近代都市として次第に様相を変えていく。しかし、政宗がその基本形を作った街路は大きな変更を加えられることなく生き続けた。

近代以降で大きな街路の変化というと、大正末から昭和初期にかけての市電建設時に、一部に「電車通」が造られた程度である。

第二次世界大戦末期の空襲で甚大な被害を受けた仙台は、戦後の戦災復興で街を根本的に作りかえることもできた。しかし、青葉通と裁判所前から南東へ伸びる道が新設されたくらいで、基本的には政宗が作った街路を拡幅して十分に、新しい時代に対応できた。城下町での戦闘を意識せず、都市の使い勝手を重視した政宗の都市計画は、当時としては常識はずれのものだった。しかし、それ故に近代都市にも十分に通用する先進的なものだったのである。

(Kappo Vol.88より転載)

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菅野正道さんはKappo本誌にて、宮城の食材とその歴史をたどった「みやぎ食材歴史紀行」を連載中。

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