TEXT:三浦奈々依
フリーアナウンサー・神社仏閣ライター・カラーセラピスト。ラジオ番組にて15年にわたり、アーティストインタビューを担当。現在はDatefmにて毎週土曜12時放送「IN MY LIFE」のパーソナリティーを務める。東日本大震災後、雑誌Kappoにて約7年にわたり「神様散歩」の連載を執筆。心の復興をテーマに、神社仏閣を取材。全国の神社仏閣の歴史を紹介しながら、日本の文化、祈りの心を伝えている。被災した神社仏閣再建の一助となる、四季の言の葉集「福を呼ぶ 四季みくじ」執筆。
山神社(やまのかみしゃ)は長い歴史を刻んできました。
その始まりは今から約900年前、崇徳天皇の御代である永治元年まで遡ります。現宮司の小山田家の先祖が御神体を平泉に奉遷する道中、御神体を持った者が小牛田の地で動けなくなってしまい、御神体を鎮め奉ることにしました。御神体は安産の神「木花佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)」であると告げ、その御神徳を賜ろうと近所の人たちが次々と参拝に訪れるようになり、信仰は宮城県にとどまらず、岩手、福島、秋田、山形と東北一円に広がりました。今も各地に山神社の石碑が残り、その信仰の篤さを物語っています。
町の大火の際に神社も類焼しましたが、御神体は最初に持ち出され、明治41年の大火では猛火の中から運び出すことが出来たのは神憑りといわれるほどであったといいます。
山神社(やまのかみしゃ)は1700年代に山神代参婦人講を結成。「小牛田の山神様」と呼ばれ、愛され続けています。
山神社(やまのかみしゃ)の御祭神である木花佐久夜毘売命は、一夜にして子どもを身籠ったため、あらぬ疑いをかけられ、身の潔白を証明するため産屋に火をつけ、その中で無事に赤ちゃんをお産みになったと伝えられる強く美しい女神様。
「安産おまくら」「子授けおまくら」は、安産・子授けの神様として信仰されてきた「木花佐久夜毘売命」のご利益を願うお守りです。
なかでも安産祈願で授与されるお守りは江戸時代より変わることなく、おまくらを含めて全部で9種類。それぞれに異なる守りの力が込められています。
どこか懐かしさを感じる小さなおまくらの中身は籾殻(もみがら)。たわわに実る稲穂の様子にあやかって子孫繁栄と、お産が軽くすみますようにと、神社で一つ一つ手作りしているのだそうです。神社からおまくらを授与していただき、祈願成就には自分でおまくらを作って倍返し。一針一針思いを込めておまくらを作る時間にこそ、感謝の祈りがあるのでしょう。
取材に伺った日、お賽銭箱の上にどなたかがお作りになったのであろう真っ白なおまくらが置かれていました。
こんなエピソードがあります。
子どもに恵まれず、悩んでいた女性が福島から山神社(やまのかみしゃ)を遥拝し、待望のお子さんを授かり、無事男の子を出産なさったそうです。
今度は、年頃になった息子さんが山神社を訪れ、「良い人と結ばれますように」と良縁祈願をし、めでたくご結婚。さらに子授けのおまくらを授与していただいた後、娘さんを授かり、感謝とさらなるご加護を願っておまくらを倍返ししました。
それから時が流れ、お母さまは現在101歳。福島から参拝に訪れた息子さんも74歳になられました。お孫さんにあたる娘さんも山神社で良縁と安産を祈願し、成就。3代にわたって連綿と倍返しのお礼参りをしているご家族があるそうです。
「おかげさまでという感謝の思いを忘れることなく、毎年、神社へお礼参りにいらっしゃるこちらのご家族は私どもにとっても特別な存在です」とおっしゃる権禰宜様の言葉には、感謝の思いが滲んでいました。
「倍返し」という祈願における日本古来の風習は、ドラマの中で繰り広げられる報復の倍返しと違って、争いや嘘、策略や裏切りとは無縁の世界です。
ほっこりとした気持ちで山の神様に手を合わせて振り返ると、赤ちゃんを連れたご家族が肩を寄せ合い、晴れやかな笑顔で記念撮影を。そのすぐそばで、生まれたばかりのひな鳥が「チュッチュッ」と声をあげながら、羽を広げ元気に飛び立っていきました。
恋をして、結婚をし、子どもを産むというご先祖様からつながる命の流れの中で人は生まれ、愛は次に生まれ来る子どもたちへと受け継がれていきます。
命の営みに寄り添うようにして行われてきた、祈願における日本古来の風習「倍返し」。
神恩感謝の心を継承するやさしい風習を、次の時代へ守り伝えたいと願った一日でした。