TEXT:三浦奈々依
フリーアナウンサー・神社仏閣ライター・カラーセラピスト。ラジオ番組にて15年にわたり、アーティストインタビューを担当。現在はDatefmにて毎週土曜12時放送「IN MY LIFE」のパーソナリティーを務める。東日本大震災後、雑誌Kappoにて約7年にわたり「神様散歩」の連載を執筆。心の復興をテーマに、神社仏閣を取材。全国の神社仏閣の歴史を紹介しながら、日本の文化、祈りの心を伝えている。被災した神社仏閣再建の一助となる、四季の言の葉集「福を呼ぶ 四季みくじ」執筆。
東北民俗の会会員。高校生の時に「民俗学」「文化人類学」の面白さ、奥深さに魅了され、東北学院大学史学科に入学。民俗学を専攻。卒業後、一般企業に就職したものの、「学びたい」という気持ちを抑えきれず、1年で退職。学習塾で仕事を続けながら、博物館の学芸員になるべく、単位取得を進め、資格を取得。さらに、東北大学大学院へ進学。現在は学芸員として仕事をしながら、ライフワークともいえる民俗学の研究に取り組む。
「うちの親父は農家の次男坊で、昔ながらの風習やしきたりを重んじる人でした。例えば、お盆やお彼岸の時に本家からお重に入ったおはぎが届くと、お重は洗わず、そこに付け木(マッチ)を入れて返すんです。そのままでは返さない。ちょっとした返礼をする。茶碗に一口分、ご飯を残しておかわりをするというのも、不思議だなと思っていました。幼い頃に感じたいくつもの疑問が、研究を始めたきっかけかもしれません」と、加藤さん。
「何かいただいたら、お返しをする」という考え方は、日本の文化そのものです。加藤さんが研究している倍返しは、祈願における日本古来の風習です。
倍返しと一口に言っても、祈願の内容は、安産、妊娠、子どもの夜泣き、疳の虫、子育て、乳出等と多岐にわたり、それに伴う奉斎物も、まくら、頭巾帽子、よだれ掛け、腹掛け腹巻、小型の鎌、腹帯等と様々です。
「絵馬も神社によってはかつて倍返しの対象でした。また、商売繁盛の縁起物として、毎年お正月などにに小さいものから購入を始めて、一年経つと、一寸ずつ大きなものを買い求める風習がある仙台達磨(松川達磨)も、商家の神棚などに段々と大きくなる達磨がずらりと並んでいる場合もあります。祈願の縁起物で、増やしていくイメージは倍返しと同じような意味を持っていると言えるかもしれません」と、加藤さんは話します。
仙台市内のとある農家で古くから祀られているお地蔵様は、その昔、地蔵さんの頭に被せてある頭巾を借りて、子どもの頭に乗せると夜泣きが止むとされ、子どもが泣いたら、頭巾を借りに走り、泣き止んだら頭巾をもうひとつ縫って、二つにしてお返しするという逸話が残っているそうです。初めてこの話を聞いたとき、驚きました。
昔は、暮らしのあらゆることに対して、神仏の御加護を願い、借りたものを倍にして奉納していたのです。
「病院で出産することが当たり前の現在に比べ、産婆さんを呼んで自宅で出産していた時代、安産は女性たちにとって切実な願いでした。医学の発達に伴い、夜泣きや百日咳などの祈願はなくなりましたが、子授けや安産に関する信仰と倍返しの伝統は途絶えることなく、今に受け継がれています」と、加藤さんは話します。
加藤さんが研究してきた「倍返し」とは、祈願する際、他の人によって奉納された奉斎物を借りてきて自家に持ち帰り、願いが成就した後、同じ奉斎物を、もう一つ添えて奉納する。要するに、倍にして、二つお返しをするというものです。
「特に、子授けや安産は女性たちにとって共通の願いと言えるでしょう。願いが叶えば叶うほど、奉斎物が神様の前に積まれていきます。奉斎物の数は祈願者にとって、ご利益がいかに多いかという霊験を示すバロメーターになります。逆に、借りてはいくけれど願いが叶わなければ返さない。結果、奉斎物はどんどん減り、神社も廃れてしまいます」と伺い、納得でした。
願いが叶った喜びを胸に、感謝の思いを込めて倍返しされる奉斎物。
かつて女性たちは倍返しされた奉斎物を見て、「子どもを授かりたい」「無事に子どもを産みたい」と、同じ悩みや不安を抱え、祈りを捧げてきた多くの女性たちの切なる思いに触れ、自分一人ではないんだという安心感を得ていたのではないか、と加藤さん。
「もしかすると、お借りしたおまくらは百年前の人が奉納したものかもしれません。そこに、自分と同じように願った誰かと、時空を超えたつながりが生まれます。安産で子どもが生まれれば、神様への感謝はもちろんのこと、いつか、同じ願いのもと、誰かが自分のおまくらを借りるかもしれないという未来を想像するでしょう。倍返しとは、いわゆる個人祈願の枠を超える行為だと思います」とおっしゃる加藤さんの言葉に、奉斎物を通じて見知らぬ誰かの願いに自分の願いを重ね合わせ、直向きな祈りを通じて生まれたであろう幾千の喜びと感謝、見えざるつながりを思いました。