TEXT:三浦奈々依
PHOTO:菊地淳智
人為的な影響をほとんど受けていない世界最大級の原生的なブナ林は、ジブリ作品「もののけ姫」の舞台のモデルとなった場所としても有名です。少年アシタカが助けた少女サンは、人間の子でありながら深い森に棲む獣に育てられました。ふたりの出会いから始まる神獣シシ神の首をめぐる人間と、もののけの壮絶な戦い…。映画を観て、いつか訪れたいと思っていた場所でした。実際、取材で太古の森を歩きながら体の力が抜けていき、ありのままの自分に戻っていく。言葉にするならば、魂の故郷へ帰ってきたような深い安堵を感じました。
木霊する鳥の声、木々を吹き渡る風、森が放つ濃い緑の香り…。今回の神旅は、東北の聖地「白神山地」を旅します。
白神山地は、秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万ヘクタールに及ぶ、広大な山地帯の総称。白神山地は2300万年前、はるか昔は海の底にあったといわれています。
それが、今から約200万年前に隆起して山地になりました。
海底火山の火山灰が堆積した、凝灰岩と呼ばれる白い崖の地層や、山中の谷で発見された貝の化石が、私たちの知らない白神山地の歴史を物語っています。
原生的なブナ林には、本来、暖温帯性だった植物が地面を這い、降り積もった雪に守られ、生き延びていることに感動しました。
6月は、マイヅルソウ、ユキザサといった、白い花を咲かせる植物が林床を覆い、空を見上げると、シウリザクラやトチノキ等の樹木も素朴な花を咲かせる、まさに森のビューティーシーズン。
特別天然記念物のニホンカモシカ、ツキノワグマのほか、クマゲラやイヌワシなどの貴重種を含む鳥類など、多種多様な動植物が生息する森の奥深くに足を踏み入れると、木々の向こうから、じっとこちらを見つめるシシ神さまと出会えそうな気がします。
白神山地のブナ林を守り、後世に引き継いでいくための活動をなさっている奥村清明さんが著書の中で、白神山地のブナ林を「日本人の感性に合った森」と表現していたのが印象的でした。
ブナ林は春の瑞々しい淡い緑から、夏は濃い緑へ、秋は陽を透かすと明るい黄色に見える紅葉、冬は枯淡と、その姿を変えていきますが、四季を通じて共通して言えることは、その色彩が中間色であることだそうです。
ハッとさせられるほど鮮やかな原色の世界も美しいですが、どこか奥ゆかしさを感じさせる白神山地の森は、四季それぞれに移ろう、やわらかな色彩に心をゆだねられる、日本を代表する癒しの森です。
白神山地には「森の中の宝石」と称される、青の秘境があります。十二湖のひとつに数えられる「青池」。
何故、青く見えるのか。その秘密は未だ解明されていません。真冬でも8度、真夏でも10度に水温が保たれ、冬でも凍ることはないという池の水は季節や天候によって、コバルトブルーから群青まで、さまざまな表情を見せてくれます。
この青の世界に魅了され、毎年白神山地を訪れる人も少なくないと聞きます。
初めて、私が青池を訪れたのは夕さりでした。雨上がりのしっとりとした空気に包まれた静まる森に息づく青の世界。覗き込むと、どこまでも透明な池底に寿命が尽きた木々が、まるで眠っているかのように横たわっていました。
取材後、私は妹を病で亡くしたのですが、ある方に「亡くなった人はレースのカーテン一枚隔てた場所にいる。はっきりと姿は見えなくても、きっと気配を感じることは出来ると思うの」と言葉をかけられた時、青池で見た光景を思い出しました。
命の更新を繰り返してきた白神山地。そこでは死も生の一部であると感じることが出来るでしょう。
青池が持つ癒しの力。それは、青という色彩が果たす役割が大きいかもしれません。空や海を眺めていると心がだんだんと穏やかになっていく。そんな感覚を味わったことはありませんか?
青は心の波をしずめ、意識を自分の内側へと誘います。また、喪失感を癒し、再生へと導く力があるといわれています。
画家パブロ・ピカソは、親友の死を境に、青を使ってひたすら絵を描くようになりました。有名な「青の時代」。青という色には絶望のその先に希望を見出していく、やさしい力が秘められています。
白神山地で出会った観光ガイドの齊藤富士子さんが、「森に入ると、色んなことに気づける。ただこうして生きていられる幸せを実感できるの」と話していました。
重い病を患い、白神山地にいらした男性が、真ん中が腐り空洞になっても外側の皮だけで立っているブナの木を見て、「へこたれるもんか!」と病と闘い、元気になられたそうです。
「生きろ。」という壮大なテーマを持った『もののけ姫』では、アシタカとサンが森と人が争わずに、共生出来る道はないものかと悩み、懸命に生きます。人間も動物も植物も、みな命でつながっている。
私たち人間は大いなる自然の一部で、この小さな体に計り知れない自然の力が秘められていることを、太古の森は教えてくれるでしょう。