TEXT:三浦奈々依
Kappo本誌で寺社仏閣をめぐる「神様散歩」の連載を担当いただいていた、三浦奈々依さん。最終回を惜しむ声にお応えして、WEB上で連載をスタートします。
「実際に神社に行くことはできませんが、心の中で神旅を」というコンセプトのもと、第2回は、三浦さんが尊敬してやまない熊本・志岐八幡宮の宮﨑宮司(熊本県神社庁長)に、あらゆる祭りが中止になる中、古来から行われてきた日本の祭りの本質的な意味を尋ねました。
熊本県天草地方の志岐八幡宮には、村で病が流行る度、河童の手を使って村人の病を治したという伝説とともに、極めて不思議な形をした河童の手が残されています。
その昔、神社の宮司が悪さをする河童を懲らしめるため、河童の両手を切り落としてしまいました。その後、河童がやって来て、「手がないと、どうにも不便です。もし、片手でも返して下されば、そちらに残したもう片方の手で病が治るようにいたします」と、深々と頭を下げ、宮司は河童の願いを聞き入れ、片手を返してやったのです。それ以降、残された河童の手が村人たちの病を癒し、いつしか「夏越祭」として、毎年7月31日に村人たちが神社を訪れ、宮司に河童の手で頭を撫ででいただく神事が執り行われるようになりました。
志岐川で河童の手を斬ったご先祖様の代より河童の手を守り継ぐ、志岐(しき)八幡宮19代目宮司宮﨑國忠さんは東日本大震災後、ボランティア活動のため福島へ。
その後、熊本の神職の皆さんと浄財を募り、宮大工を養成する全国唯一の球磨工業高校生がつくった社殿を東北の神社に寄贈。今も東北と深い絆で結ばれています。
全国各地で今、祭りの中止が相次いで発表される中、志岐八幡宮でも自然の恵みに感謝し祈る四季の祭りの開催や執行の形を思案しなければならない状態に。
「祭りというものは長い歴史の中で、知恵を加えて形を変えながらも、続けられてきました。今こそ、祭りとは何のために行われるのか、そもそもの意味について考えてみましょう」と、宮﨑さんは話します。
国の重要無形民俗文化財に指定される福島県「相馬野馬追」。
開催地である市町村が大震災により甚大な被害を受けながらも規模を縮小、震災犠牲者の鎮魂と復興の願いを込めて祭りが開催されました。
3ケ月間、原発から20キロの立ち入り禁止区域の境界線上で、避難して誰もいなくなった神様に向かって祈りを捧げた宮﨑さんは、ボランティア活動の合間に、「何か必要なものはないですか」と被災した神社を一社一社お参りしました。
各神社の宮司様と南相馬市長に「心をひとつにするのは祭りしかない。こんなときだからこそ、相馬野馬追を是が非でも決行して欲しい」というご自身の思いを伝え、お願いして回り、2011年から現在に至るまで、相馬野馬追の祭員として毎年ご奉仕を続けています。
「大震災で家が流され亡くなった方も多数おられる中、大変なご苦労をなさって、それぞれの避難先から人々が集まり、準備をしました。原発の影響により本来の舞台ではない相馬小高神社の兼務社で、締めくくりの神事である野馬懸(のまかけ)が行われましたが、皆さん、奉仕する喜びに満面の笑みを浮かべ、故郷への思いの深さを感じました」と、あの日の祭りについて話して下さいました。
震災時と違い、新型コロナウイルス感染拡大はコミュニティの分断と孤独を生んでいます。
神輿渡御に仙台すずめ踊りの大流し、壮大な時代絵巻が繰り広げられる青葉神社の例祭、青葉祭りも残念ながら中止が決定。祭りが出来ないという現実があります。
「祭りとはそもそも、神様に真心を伝えるという目標に向かい、心をひとつにして、それぞれがお互いのため、みんなのために祈ることです。みんなで同じ場所に集まり、賑やかな時間を分かち合うことは、その目標を達成するための方法。この状況下、どのようにして神様に真心を伝えましょうかと、それぞれの場所で考え工夫することもまた、大きな意味でいえば祭りのひとつの形です。身を清め、清浄な気持ちを高めて、たとえいつものような立派なお供えが準備出来なくとも、今出来るベストを尽くし、神様に真心をお伝えすることが大切ではないでしょうか」とお話になった後、「これは、こういう苦難の時の人間関係においても一緒ですね」と。
この状況から私たちが学べることは何でしょう、とお尋ねすると、
「不自由な生活の中で自分に何が出来るのか、真剣に考えて悩む。この時間こそが私達の心根を深くする。私達のふるまいが歴史となるのです。この状況下でどういう行動をとったのか、後世の人たちが私達の生き方から学ぶでしょう。恥じないよう、清き 赤き真心で生きていかなければなりません」とおっしゃる宮﨑さんの言葉に、震災時、世界中の人が称賛した東北人が見せた我慢強さと礼儀正しさを思いました。
人間の歴史は疫病との闘いとも言われます。
今話題になっている熊本の海から現れたとされる妖怪アマビエにも、河童同様、疫病退散のご利益があるとされ、そういった存在が後世に言い伝えられてきたこともまた、人間とウイルスが歩んできた長い歴史を物語っていると言えるでしょう。
「生態系の変化がウイルスの発生要因と言われます。これ以上の悲劇を生まないためにも、敵として闘うのではなく、共存の意識が大切だと思います。感染しないよう留意することはもちろんですが、心の在り方を考え、ルールを守って行動を。志岐八幡宮は、村で病が流行るたび、河童の手を使って病を治してきたと伝えられる神社です。悪さをして、宮司に手を切られ、反省した河童の手は、恵みをもたらす神の手になったと言えます。人も一緒です。心ひとつで神にもなれるし、はたまた・・・。今こそ、河童の手の出番。なんとかして祭りの心をつないでいきたいものですね」と、電話口で微笑んでいるであろう、宮﨑さんのやさしいお声が耳に残りました。