Kappo 仙台闊歩

CULTURE 2020.07.03

【INTERVIEW】 荒浜が生んだ音楽家・佐藤那美さん/音楽を通じて世の中を良くしたい。女の子が生きやすい社会を作りたい 

取材・文=三浦奈々依(MIura Nanae)
写真=池上勇人(Ikegami Hayato)

PROFILE

佐藤那美 

音楽家。1990年生まれ。宮城県仙台市荒浜にて育つ。仙台を拠点に、 フィールドレコーディング、エレクトロニカ、アンビエント、ストリングスなどのサウンドを 取り入れた楽曲を制作。東日本大震災をきっかけに音楽制作を本格的にはじめ、 2011年 ミュージシャン七尾旅人主催の DIY HEARTS にてミニアルバムを発表。 2013年 震災で失われた故郷の再構築を試みたアルバム “ARAHAMA callings” を配信リリース。 2018 年 “Red Bull Music Academy 2018 Berlin” に日本代表として選出。 2019年7月に ロンドンを拠点とするレーベル THE AMBIENT ZONE より EP “OUR MAP HERE”をリリース。 今年の秋、「World Sketch Monologue」をリリース予定。

「海外で武者修行をして、最終的に荒浜に戻ってきたい。曲がヒットすれば東北に人が来てくれるじゃないですか。音楽で人を動かせる存在になりたいんです」

 2019年7月に発売された『Kappo 仙台闊歩7月号「街の誇りと魅力を生み出す 宮城の100人」で、ご自身の夢について話して下さった、荒浜の音楽家・佐藤那美さん。

小雨が降っていた荒浜。鈍色に染まった町を傘もささず、まるでダンスをするように軽やかに歩いていた姿が印象的でした。

当時、武者修行への第一歩を踏み出すべく、アルバイトをしてコツコツお金を貯めていた那美さん。あれから、約一年。この4月にアイルランドへ出国予定でしたが、新型コロナウィルス感染拡大により、EUが封鎖され、飛行機は全便欠航。留学は延期に。

泣きながらスーツケースの荷物を片付け、家に引きこもった自粛生活の中で、那美さんの夢がさらに膨らんだと言います。

荒浜が生んだ音楽家・佐藤那美さんの今を伺いました。

ひたすらインプットの自粛生活

「この二カ月くらい、本を読んで、音楽もたくさん聞いて、インプットし続けました。音楽について改めて勉強する時間って、これまであまりなかったんですよね」。

音楽でいえば、アンビエントミュージックがニューエイジミュージックと合流していく以前の70年代から遡って聞いていたと言います。

「ニューエイジの代表的なことで言えば、ビートルズがシタールを持ち始めた。ニューエイジが神とつながるスピリチュアルなものだとしたら、アンビエントはエリック・サティが提唱した『家具の音楽』から着想を得たと言われているジャンルです。例えば、レストランに響くカチャカチャという少し耳障りな食器の音も、サティの音楽が流れるだけで、空間の音のひとつとして聞こえる。言うならば、アンビエントは空間をデザインする音楽。私はアンビエントを作れるから、作っていただけなんですよね」

今年の秋以降にリリース予定のアルバムは、アンビエントとニューエイジが溶け合う、那美さんにとっても新たな一枚となる予感。

「以前は重なっていく音に美しさを感じていたんですけど、自粛生活の中で生まれた曲は、ひとつの音で美しさを見出す。それは私にとっても大きな変化でした」と那美さんは話します。

「人間として生まれたのは今回が初めてなんです」

PHOTO/Parnian Ghorbani About the series "The Man Who Wasn't There": The series is between the realms of image and literature. For me photography is a way of deciphering the language, a treasure map that has been passed down to us by our ancestors. I'm heavily influenced by Jacque Derrida's concept of Trace "an always already absent present". The series begin with phallic symbols and ends with yonic symbols, completing the argument that: The man isn't really there.

写真家の友人Parnian Ghorbaniが撮影した、テヘランの岩を見ながら作った一曲を聞かせてもらいました。繰り返される音がちょっとずつ変化をして、鳴り響く鐘の音のように広がっていく音のループにすっぽりとくるまれて、まるで自分が岩になったかのような不思議な錯覚に陥りました。

「私、小学生の時から人と意思疎通がうまくいかなくて、生きることがすごく辛かったんですよね。自分だけ宇宙人みたいな感覚があって。26歳の時、早稲田通りの占い師に、あなたは昔、北欧の岩だった。人間として生まれてきたのは今回が初めてだから、うまく出来ないことを気にしなくていいと言われ、すべて吹っ切れました」と、にっこり。

ありのままの自分を受け入れることができるようになったその2年後、那美さんは“Red Bull Music Academy 2018 Berlin” に日本代表として選出され、活躍のステージを世界に広げます。

ベルリンの時間で得たもの

佐藤さんの人生の基本設定を変えたという「Red Bull Music Academy」にて (C)Dan Wilton / Red Bull Content Pool

那美さんお気に入りのシンセサイザー「KORG モノローグ」で曲作りを行ったアルバムの仮タイトルは「World  Sketch  Monologue」。

「ベルリンのスタジオの機材にKORGのモノローグがあったんですけど、なんと、モノローグを作ったエンジニアがスタッフの中にいたんです。しかも、日本人でした!」。

ベルリンで音楽的、環境的に様々なバックグラウンドを持つ音楽家たちと接した刺激的な経験は、那美さんが生み出す音はもちろんのこと、異なる文化に対する捉え方にも大きな変化を与え、また、様々な疑問を生んだと言います。

 

ベルリンのパーティーで、カナダ国籍の女性から那美さんに投げかけられた質問。

「あなたの住んでいる街には何人、女の子のトラックメーカーやプロデューサーがいるの?」

自分以外のひとりも思い当たらず、すぐには言葉が出てこなかったという那美さん。

トラックメーカーやプロデューサーなどの仕事において、男性と女性の割合は49対1と、女性が圧倒的に少ないという音楽業界のジェンダーギャップ。それに加え、クラシック以外、例えばポップスやテクノなど、様々なジャンルの音楽を学べる場所がないのは何故? と深まる疑問。那美さん自身、ネットの記事を読んだり、ユーチューブを見たり、自力で音楽家の道を切り開いてきました。

今年の一月、東京の音楽プロデューサー兼DJである女友達とお茶をしながら、そんな話を。すると、「私も同じだったよ」と言われ、孤独なのは自分だけじゃなかったんだと気づいたことから、新たな夢が生まれました。

「自分のキャリアが安定したら、教育に取り組みたい。スクールでも、ワークショップでもいいんです。音楽を学べる場所を作りたい。女性のコミュニティを。女の子にたくさんチャンスがあって欲しいし、世の中をもっと良くしたいから」。

音楽家はアクティビスト

今、アメリカで大きな社会現象となっている「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」運動。「自分に起こっていないことは学ぶしかない」と那美さんは話します。他人事じゃないという思いで向き合うためにしっかりと学び、自分なりに考えるプロセスを大切にしたいと。

「それは義憤だよと、ある人は私に言ったけれど、だとしたら、義憤を覚えるべきです。ひとりひとりが学び、考えたこと、感じた思いが、未来を変えると思うから。震災があって、私は音楽を始めました。それは自分のアイデンティティだと思う。音楽家は皆、アクティビストです。私は音楽しか出来ないし、音楽を通じて世の中を良くしたい。女の子が生きやすい社会を作りたいんです」。

夢のスケールも人間もさらに大きくなった那美さんの夢の実現を、同じ女性として心から願います。

311日 荒浜小学校の音楽室で予定されていた「音楽」の時間。 新型コロナウィルス感染拡大防止のため企画は中止となりましたが、ゲストにいとうせいこうさんを迎えたライブ映像を公開中。出演予定だった那美さんは、シンセサイザーで、本来そこにあるのにないものを表現しています。

佐藤那美さんのアルバムは下記でダウンロードできます

ARAHAMA callings

OUR MAP HERE

 

■ Kappo 2020年7月号 vol.106 ■

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