写真=池上勇人、齋藤太一、呉島大介 TEXT=ナルトプロダクツ、川野達子、編集部
大地に根を張り、水を吸い上げ天へと伸びる樹々のように。オーナーシェフである澁谷瑛子さんがかつて学んだバレエの基本姿勢から名付けた『スシュ』。大窓から望むパティオでは、その名を祝福するかのように夏の植物たちが緑蔭をきざしている。
日本におけるフランス料理の父・アンドレ・パッションのもとで学び、代官山「ル・プティ・ブドン」では料理長を務めた澁谷さん。しかし彼女が一貫して抱く思いは、「地元・秋田でフランス料理店を開こう」というものだった。
「幼い頃に家族で訪れ、そのおいしさに感動したフランス料理店。あの時の楽しさや居心地のよさを故郷である秋田で生み出せたら、と思ったんです」
澁谷さんの料理はどれも、陽の光のような明るいあたたかさを湛えている。アミューズブーシュには、エスカルゴ。この日はパッション氏の故郷・オクシタニーのオード風に、トゥルーズソーセージと生ハム、鴨の脂をソースに仕立てて。八木ニンニクの根のフリットの香ばしさ、イベリコ豚チョリソーのコクのある辛味、トマトの甘さと酸味が複雑に重なり、エスカルゴを彩る。マリーゴールドが香る前菜では、サクのままグリエしたメバチマグロのしっとりしたジューシーさに茹でたアスパラガスのみずみずしいジューシーさを重ねて。ヴィアンドには、ひたひたにジュを湛えたラムのグリエ。タイム風味のジュのソース、ドラゴンフルーツの蕾、ジロール茸といったガルニが、ラムを主役にしたブーケのように美しく調和している。
辺境のガストロノミー。かつてそれは、地産地消や自給自足、あるいは何らかのツーリズムを前提に語られることがほとんどだった。辺境ならではの地の利。確かにそれは価値あるものだ。しかしそれは同時に、中央・辺境両方の料理人やゲストに「土俵が違う」という甘えや侮り、諦めを許していたように思う。
「秋田に『たかむら』あり」と言われる理由。それは、『たかむら』が秋田という地の利は十分に活かしながらも、何処にあっても『たかむら』の価値は揺るぎない、ということを証明してみせているからだ。その存在は、ここ数年の地方に根ざすたくさんの料理人たちの意欲と挑戦を大いにかきたてている。
店主である髙村宏樹さんは、今はなき名店・目白「太古八」の四代目として江戸料理を継承する、日本で唯一の存在。江戸料理の味わい、そのベースはとても明快だ。きっちりとひいた鰹ダシと濃い口の醤油を使ったきりっとうま口。素材の持ち味を消さないように淡く仕立てるのではなく、調味の力で素材の味を奥からひきだす、という印象だ。
秋田の郷土料理・わらびすりと白海老の重ねは、つるつるの食感からとけだす味噌のうまみ、ワラビの青い風味、胡麻油を得た白海老の甘さが穂紫蘇の清涼を得て一体に。お凌ぎのサツキマスの押しずしも、さまざまにちりばめられた味わいのファクターが賑やかなままひとつのおいしさに収束していく見事な構成だ。
今や『たかむら』を代表するひと品となった「比内地鶏の首皮包み焼き」。比内地鶏のさまざまな部位を叩き、一羽から一人前しかとれない希少な首皮で包んでじっくりと炙ったスペシャリテだ。ぱりっと張った皮、肉の粗い粒感とジューシーにあふれでる肉汁、炭火の香りと鶏の脂の香りの奥から鼻に抜ける、吟醸香のような甘い香り。こんな鶏料理は食べたことがない、と誰もが陶然となるだろう。
「もはや地産地消の時代ではないと思うんです。いい素材や生産者を秋田や東北という括りの中だけで消費するのではなく、もっとグローバルに、広い範囲のたくさんの人に認められていくことが、ものづくりがさらに成長するモチベーションになる。それは、地方と中央の格差がなくなることにも繋がると思っています」
秋田東部を流れる桧木内川。その美しい湧水の水面をすくいあげたような皿に、オーナーシェフである五井慎太郎さんは鮎のテリーヌを載せた。桧木内川の上流で獲れた若鮎だ。骨でとったブロード、内臓と身とで作ったペーストを身で挟み、美しい断層に。添えられたグリーンのソースはキュウリ。鮎の清々しい香りをキュウリの風味がさらに輪郭づけ、はらわたのほろ苦さに同じ清流の褥で育ったクレソンの香気が呼応し、味わいにもふるさとの山紫水明を描き出す。
「必要以上の手は加えない。素材を、その素材以上の別のものにはしたくないんです」と五井さんは言う。その信条は、コースを通し一貫している。
九六島産のクロアワビは、ソテーした身の柔らかさや弾力はもちろん肝と秋田産ホウレンソウとを合わせたソースが主役級。冷水で締めたフェデリーニにたっぷり絡み、噛むごとに旨みが増す。ホウレンソウのチップがバラ海苔の風味にも似て、海幸と里幸とをさらに繋ぐ。カルネには、かづの短角牛ランプのロースト。芯温を調整しつつオーブンで焼いたのち溶岩石のプレートで焼きつけ、香ばしさを増した。秋田産の根曲がり筍と自家製パンチェッタ、実山椒のみじん切りをソースにし、風味にも食感にも軽やかなリズムのある味わいに。
『FRUTTO』、それは「実り」。秋田の豊饒を、その風景ごと皿にのせて、我々の身と心を満たしてくれる。
頼りのナビは人通りの少ない大通りから細い路地へと誘導する。その道の先に、南仏のビストロを思わせる店が現れる。
なぜ東京に出店しないの?とよく問われる。近所にあったら週1で通うのに、とパリ在住のジャーナリストがため息をもらす。「トラディショナルなフランス料理を食べられる店が国内には少ないからだと思います。そんなお客様の言葉は何よりうれしいですね」とオーナーシェフの小林淳さん。
フレンチの料理人を目指し、ボンジュール、ボンソワール、メルシーの単語を携え単身渡仏。アキテーヌ地方ランド県の2つ星レストランを皮切りに3年で7カ所の星付きで修業した。
帰国後、東京出店の話もあった。しかし小林さんは北秋田市の実家で店を始めることにした。「フレンチ不毛の地での開業を疑問視する声はもちろんありました。でもここには仲間がいるし、不毛の地ならばパイオニアになりたい。迷いはありませんでした」
2006年の開業以来、正統派のフランス料理にこだわってきた。「手間を惜しまず、骨を砕き、焼き、煮込む。一から作り出すことで味のベースがうまれ、レストランの核ができる。それが修業先で学んだことであり、私のベースだから」と小林さん。「私の料理の核」というフォンドボーに目配せする。フランスにヌーベルキュイジーヌの風が吹き、その影響で伝統的フランス料理を出す店は減少した。『エル・ブリ』に代表される分子ガストロノミーがもてはやされたときは、エスプーマや液体窒素、アルギン酸ナトリウムなどの化学を取り入れることも考えたが、「私が機械を使うのは危険」と判断。正統派であることが自分のスタイルだと小林さんは再認識した。
「私はフランスを知っている日本人。私のバックグラウンドである秋田の、日本の良さを、フランス料理に落とし込んで表現したいと思っています」
ハレの日に利用する地元の客も随分と増えた。「ボワ アン クープ(一杯やろうよ)」と扉が開く音を、小林さんはいつも楽しみに待っている。
生産者との出会いを楽しみ、食材を慈しみ、洗練された味へと昇華させていく。オープン間もないながら名店の風格漂う秀逸な味にハッとさせられる。
シェフの塩原俊介さんは横浜市出身。学生時代のアルバイトをきっかけに料理の世界に入り、都内で店舗展開するイタリアンレストランで料理長として手腕を振るっていたが、子育てに良い環境を求め、2019年に妻の愛結さんの実家がある大館市に移住した。
「秋田の皆さんに洋食の文化を広く知ってもらいたい」と出張料理や料理教室からスタートし、1年後に店を構えて飲食事業を開始。そして2022年4月、大館駅前に『トイミトトレソ』をオープンさせた。
料理長時代のネットワークを活かした仕入れで、全国各地の旬と秋田の旬を掛け合わせた料理を作っているが、近ごろは秋田の生産者とのつながりをより意識するようになった。「畑に行って生産者と話すのが楽しくて」と俊介さん。イタリアでの修業経験はなく、イタリアンに強いこだわりがあるわけではない。だから型にはまらず発想も自由。秋田の食材に感化された率直なイメージを皿に表現する。
その料理は特に香りが印象的だ。例えば「ハモと焼きナスの冷製パスタ」は、食感ではなく香りでナスの存在を知る。「焼きナスをソースにして、オリーブオイルといしる(魚醤)を少し加えています」。クミンなどスパイスを効かせた香ばしいハモのフリットは温かく、隠れた焼きナスの香ばしさをさらに引き立てる。
同じく東京で経験を積んだ愛結さんが担当するドルチェも好評で、素材を活かす繊細な仕立てにセンスが光る。
「おいしい料理を出すのは当たり前。居心地の良さや楽しいおしゃべりなど、料理以外のことも提供したい」と話す俊介さんと愛結さんも、これからの『トイミトトレソ』に期待している。
東に鳥海山、西に日本海を望む秋田県にかほ市。自然に恵まれたこの土地の名を冠した一軒のレストランがある。『レメデ ニカホ』は、地元企業のゲストハウスだった一軒家を再利用した、フランス料理店だ。
シェフの渡邊健一さんは、秋田県北部の潟上市の出身。サービスとソムリエ担当の村上清香(きよか)さんは、秋田市出身。ふたりとも東京で研鑽を積み、秋田へと戻ってきた。「食で秋田を発信してみたかった」と渡邊さん。それでもなぜ、にかほ市なのか。「一目ぼれに近いです。初めてにかほ市を訪れたときに、ちょうど後ろの山から町を眺めたんです。遠くには海が見えて、とてもいい景色でした。それが、この場所に決めた理由の一つです」と村上さんは笑う。
ちょうど、解体されるはずだったゲストハウスの保存が決まった矢先のこと。この場所が観光の基盤となったら、外からも人が来るような街になる。さらにレストランであれば、にかほ市を食の観点から発信できる。そうして、店名に“ニカホ”を冠し、店を開いた。
しかし、周辺には飲食店が少なく、東京のようにあれこれ食材が手に入る環境ではなかった。「とにかく、取り寄せるまでが大変だった」と渡邊さんは振り返る。生産地を駆け回ったおかげでつながりができ、今では直接の仕入れ先がほとんどだという。山があり、水は澄んでいる。もちろん、海も豊か。にかほ市は食材の宝庫だ。
「レストランは食材の発信の場。生産現場を本当に理解した上で発信しないと、単なるパフォーマンスに過ぎない」。そんな思いから、地元の食材を発信する広報誌の編集長まで担っている。「地方の価値は一次産業と距離が近いことにあると思うんです。“物を作って売る”って、人間の原点とも言えるシステムですよね。でも今の社会は稼ぐことにフォーカスしすぎて、一次産業の素晴らしさを見失ってしまった。そうやって食文化を歪めてしまったのは、我々飲食店のせいでもある。これからの飲食店は、少しでもそれを是正しなくてはいけません」。そろそろ作るのを辞めてしまおうか、という農家にも「使うから持ってきて!」と声をかける。季節によって仕入先も変われば、中には年に一度、収穫できたときだけの取引先もあるという。
さらに、生産者と直接つながることが、彼らのスキルの向上にもなっている。「漁師さんが、『レメデで出すならいい魚じゃなくちゃ』と言って、どんどん血抜きの腕を磨いてくれています。東京じゃ築けない関係です」
この日メニューに並んだのは、秋田が誇る比内地鶏、秋田市の太平山ポーク、旬を迎えた象潟の岩牡蠣、メインは地場の野鴨。そこに、伏流水に自生するミントや、同じ水系の水で育ったレタス、高原の牧場で作るヨーグルト、地元の原木しいたけが華を添える。
“にかほを感じる料理”を作ることは街に人を呼び、街の食材を発信すること。さらに生産者にフォーカスし、地元の一次産業の盛り上げを図る。生産者、料理人、ゲストの持続可能な関係づくり。「料理人にできることは、店で料理を作るだけじゃないと、この場所から一石を投じたい」。渡邊さんの決意は固い。
記事の内容はKappo119号(2022年8月5日発売)掲載の情報です。
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