写真=池上勇人 TEXT=ナルトプロダクツ、川野達子、編集部
すしの地の利は当然、海街にあると思っていた。しかし、室井政樹さんが『寿し扇』を舞台に到達しようとしていることは、その「当然」を覆すかもしれない。古くから街道の交差する宿場町として栄え、現在も宮城県北部の中枢都市である古川。その中心街に室井敏夫さんが『寿し扇』を開店したのは45年ほど前だったという。息子である政樹さんがともに漬け場に立つようになったのが10年ほど前。3年前からは、昼の部を完全に政樹さんの店として独立、夜とは異なるコース仕立ての店として展開を始めた。「父の握るすしは大好きです。でも、〝自分がいま理想とするすしはどんなすしか〞ということを追いかけてみたくなったんです」。要衝の地、そして現代的物流の力により、内陸の古川でも活きや質に遜色のない海幸が届くのが令和である。そこに大都市や港町との差はない。と、すれば、むしろすしに欠かせぬ地の利はもはや内陸にあるのではないか。「すしの要はすし飯」という信念のもと、室井さんは登米の成澤之男さんが無肥料自然栽培で育てたササニシキを取り寄せ、柴田町『奥野醸造』の結び酢と米酢を合わせてすし飯を仕立てている。「煮切りや煮物などに使う醤油、味噌は美里町の鎌田醤油さんです。地産地消にこだわっているわけではないけれど、身近にこんなにいい米や調味料があるなら使わなければ」。炊く分だけを都度精米、ガスの竈、羽釜で炊くのだが、この米はなかなかに気難しく半日以上かけて浸水しないとふっくら炊きあがらないという。「頑固な米なのですが、ちゃんと手を掛けてすし飯にすると他にはない粒立ちの良さ、食感、そして味わいになります」
料理人の間で〝行ってみたいすし屋〞として必ず名の挙がる注目店である。仙台や塩竈や気仙沼ではなく登米というのも好奇心を掻き立てる。創業1936年の老舗を今に受け継ぐのは3代目の氏家光浩さん。地元産ササニシキで握る江戸前ずしで遠方からも客を引き寄せる。中学の頃から先代の手ほどきを受け、学業より仕込み優先の高校時代を経て店に立つようになった。「レールに乗っかっただけ」としばらくは義務的に作業をこなす日々を送ったが、25歳を過ぎ、すし職人として自立するため猛勉強を始め、江戸前ずしを志すようになった。そのさなかの東日本大震災。これまで仕入れていた三陸の魚が入らなくなった。魚を求め、氏家さんが向かったのは東京・築地。戸惑うほどの躍動感と熱気の中、豊富な魚種と品質の良さに圧倒された。マグロ仲卸で有名な『石宮』(現在は閉店)に飛び込み、運よく食べさせてもらったマグロの味に心底感動した。一から魚を勉強したいと震災の年は3回、翌年から2カ月に1回のペースで築地に通うようになった。仲買人たちの知識の豊かさに胸が高鳴る。氏家さんの人柄も功を奏したのだろう。目利きのみならず、魚の種類や状態に応じて施す手当てまで丁寧に教えてくれる。その手当てに魅了された。
コロナ禍の2年間、大変だったのでは?との問いに対して、「いやあ、暇な日はほとんどありませんでしたよ」と笑うのは、『松葉寿司』の2代目・佐藤真也さん。「挑戦したいこと、試したいことがたくさんありすぎて、今はもう、時間が足りないんです」。大阪の調理師学校を卒業し、東京・銀座の懐石料理店に勤めていた時期に、東日本大震災が発生。実家である『松葉寿司』が被災したことをきっかけに、すし職人としての道を歩み始めた。「いつかは継ぐだろう、とおぼろげに考えてはいました。こんなに早くなるとは思っていなかったんです。東京のすし店でも働きましたが、正直言って学ぶことは何もなかった。だったら仕込みや仕事は、気仙沼に帰ってから自分で試行錯誤しながら覚えようと思って」
物心ついた頃には、父・尚行さんの仕事を間近に見ながら実家のカウンターですしを食べていた真也さん。8年前に気仙沼に戻り、2代目として店に立った。真也さんの握るすしは、仕事を施したいわゆる江戸前。しかし、魚の〆方、仕事、使う道具に至るまで、ほぼ独学だというから驚きだ。
国内有数の水揚げを誇る港まちに在りながら、生のまま握るすしは一切ない。赤酢のシャリに合わせ、すし種すべてに江戸前の仕事を施す。「魚は生で食べるのがいちばんおいしいという人が多い地域ですが、そうとは限らないことを伝えていきたい」と店主の尾形正司さん。気仙沼で生まれ育ち、地元のすし店に30年勤めてたどり着いたすし職人としての境地、それが江戸前ずしだった。赤酢をしっかり効かせたシャリが鮮烈な印象。「魚の味、特に甘味がよくわかる」というそのシャリこそが、こだわりの最たるものである。「自分が店を出す時は必ず赤酢にする!と決めていました。テレビドラマの影響です(笑)。頑固な親方が営むすし屋に弟子入りした青年の成長物語。青年に自分の境遇を重ねながら辛い見習い時代を乗り超えました。その店で使っていたのが赤酢だったんです」。30年前の決意を貫いた尾形さんも、相当な頑固者とみる。2年がかりで醸造元を説得し手に入れている赤酢は、市販品とは旨みがまったく違うという。「塩を加えるだけで、米の甘味を引き出すには十分です」。そのシャリを必ず人肌で握る。魚の味もシャリの味も、しっかり感じられる温度帯だと考えている。
記事の内容はKappo119号(2022年8月5日発売)掲載の情報から抜粋したものです。
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