取材・文=菅野正道/仙台市出身。仙台一高、東北大学大学院卒。元仙台市史編さん室長。現在はフリーで郷土の歴史を研究。主な著書に『伊達の国の物語』(プレスアート)ほか多数。本誌にて「みやぎの食材歴史紀行」を連載中。
全国的な城ブームの中、最近は戦国時代の城に注目が集まりつつある。
戦国時代、伊達氏の本拠があった山形県の置賜盆地には数百もの城があったが、そのうち48ヶ所を選りすぐったのが「伊達な置賜四十八館」。
今回はその中から伊達氏にとって最重要拠点だった城と伊達氏重臣にゆかりの深い館を紹介しよう。
米沢市街地の西方約2kmの尾根上に築かれた舘山城。
多くの遺構が残り、また発掘調査によって周囲にも戦国時代の屋敷が展開することが確認され、置賜盆地で最も重要な城館の一つとして国史跡に指定されている。
尾根の上を平らに造成した曲輪が並び、出入口には進路を屈曲させるなどの防御上の工夫が見られる。
圧巻なのは、城の西側を守る高さ約6mに及ぶ土塁。
東北でも最大級である。
もともとは伊達氏家臣新田氏の居城であったが、伊達政宗の父・輝宗は政宗に家督を譲った後、舘山の地を隠居地とし、後に政宗や上杉景勝が改修を行い、整備・拡張された。
舘山城から北に少し離れたところに鎮座する成島八幡神社は、境内に土塁などが残り、成島館として置賜四十八館に列せられている。
置賜の地を離れることになった伊達政宗は、この神社と新領地に祀られていた大崎八幡神社を合わせて、仙台城下の総鎮守・大崎八幡宮を創建した。
伊達氏にとって成島八幡神社がいかに重要だったかを物語っている。
伊達政宗の重臣として必ず名前が挙がるのが片倉小十郎景綱。
景綱は、神官の子から抜擢されたと伝えられてきたが、近年の研究で、片倉氏は伊達氏重臣の家柄で、景綱はその分家筋であることが明らかになった。
片倉氏本家の拠点は長井市中心部にあった。
明治時代に郡役所が置かれた一帯に築かれた小桜城、宮村館と呼ばれる城館である。
四方が200m以上に及ぶ置賜でも最大級の平城だった。
景綱の家の他にも片倉氏はいくつかの家に分かれて勢力を広げた。
長井市西部の平山には片倉氏の分家の一つが住んだ片倉館が残っている。
小規模だが、周囲に堀と土塁を廻らした戦国時代の城館の面影をよく残し、置賜四十八館に加えられている。
ここには片倉氏の末裔が今も住んでいる。
戦国時代の城主の子孫が今も城跡に住み続けるという稀有な城である。
長井市と北隣の白鷹町、東隣の南陽市一帯は、桜の名所が多く、「置賜さくら回廊」と名付けられた観光ルートになっている。
長井市の「久保ザクラ」「大明神ザクラ」のように伊達氏にまつわる伝承があるものも。
若き日の独眼竜政宗との出会いを探し、花見を兼ねて戦国大名伊達氏ゆかりの地を巡ってはどうだろうか。
『置賜さくら回廊(おきたまさくらかいろう)』
公式ホームページはこちら
https://www.okitama-sakura.com/
「伊達な置賜四十八館(だてなおきたましじゅうはちだて)」
公式ホームページはこちら
https://sengoku.oki-tama.jp/dte48/
《各城館のMAPも掲載》