TEXT:三浦奈々依
フリーアナウンサー・神社仏閣ライター・カラーセラピスト。ラジオ番組にて15年にわたり、アーティストインタビューを担当。東日本大震災後、雑誌Kappoにて約7年にわたり「神様散歩」の連載を執筆。心の復興をテーマに、神社仏閣を取材。全国の神社仏閣の歴史を紹介しながら、日本の文化、祈りの心を伝えている。被災した神社仏閣再建の一助となる、四季の言の葉集「福を呼ぶ 四季みくじ」執筆。
「杜の都の天神さま」と呼ばれ親しまれてきた榴岡天満宮。春になればすべてが桜色に染まる美しい観桜地・榴ヶ岡に鎮座し、初詣はもちろん、受験前には学問の神様として有名な道真公のご利益を求め、多くの参拝客が訪れます。
寛政7(1795)年2月25日に落雷による不慮の火災が発生し、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失した榴岡天満宮は、道真公が高天原より降神なされたのでは、と伝えられる歴史的ロマン漂う唯一の天満宮。実は、道真公の命日こそが、延喜3年2月25日でした。
また、東日本大震災と酷似するとされる貞観の大地震について詳しく書き記された、平安時代の歴史書『日本三代実録』の編纂の中心を担ったのも、道真公。奇しくも榴岡天満宮は、貞観地震の再来と言われる東日本大震災によって修復を余儀なくされ、2年後の平成25年11月24日に本殿遷座祭を斎行、御神体を本殿に御遷座し、本殿での祭祀が再開されています。
幾度もよみがえりを果たし、今なお多くの崇敬を集める天満宮なら、どんな困難にも負けず、明るく元気に生きる力を授けてくれるでしょう。
宮城県美里町には、伊達政宗公が築き上げた仙台藩の時代より安産の神様として今なお盛んに信仰されている神社・山神社(やまのかみしゃ)があります。山神社に伝わる「倍返し」の風習に込められたものは、神恩感謝の心。山神社の御祭神である木花佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメ)は、一夜にして子どもを身籠ったため、あらぬ疑いをかけられ、身の潔白を証明するため産屋に火をつけ、その中で無事に赤ちゃんをお産みになりました。
山神社の「安産おまくら」「子授けおまくら」は、安産・子授けの神様として信仰されてきた「木花佐久夜毘売命」のご利益を願うお守りです。江戸時代より変わることなく、受け継がれてきた小さなおまくらの中身は籾殻(もみがら)。子孫繁栄と、お産が軽くすみますようにと、神社で一つ一つ手作りしているのだそうです。神社からおまくらを授与していただき、祈願成就には自分でおまくらを作って倍返し。
このお守りにまつわる話は尽きず、子どもに恵まれず、悩んでいた女性が福島から山神社を遥拝すると待望のお子さんを授かり、今度は、年頃になった息子さんが神社を訪れ、めでたくご結婚。さらに子授けのおまくらを授与していただいた後、娘さんを授かり、おまくらを倍返し。それから時は流れ、お母さまは101歳、息子さんも74歳に。お孫さんにあたる娘さんも山神社で良縁と安産を祈願し、成就。3代にわたって連綿と倍返しのお礼参りをしているご家族もいらっしゃるそうです。神恩感謝の心を継承するやさしい風習が息づく山神社を参拝すれば、あたたかな気持ちで新年を迎えることができるでしょう。
緑あふれる北山の森にひっそりと佇む青葉神社。御祭神は武振彦命(タケフルヒコノミコト)で、神となった伊達政宗公です。政宗公ゆかりの神社として日本各地から多くの参拝客が訪れています。
創建は明治7年。藩祖政宗公を祀る神社の建設を願い出て、新政府の許可を得て実現しました。平成31年に本殿、拝殿含む6棟が国登録有形文化財に指定されています。決して華美ではない、厳かな社殿も見事。
現在の青葉神社の宮司を務めるのは伊達政宗公の重臣として仕えた片倉小十郎景綱の子孫である片倉重信さん。片倉小十郎景綱は政宗公が幼い頃から仕え、伊達の名参謀としてその名を知られました。米沢の米沢八幡の神職の子として生まれています。その小十郎の子孫が今なお、政宗公に仕えているというのは、宿命というものを感じずにはいられません。
神となった政宗公に仙台、そして世の繁栄と平和を祈願する祝詞を上げるお勤めが毎朝6時に行われています。死してなお、政宗公は仙台の末永い繁栄を願っているのですね。政宗公の凛々しい騎馬像姿の御朱印帳も人気。戦乱の世を駆け抜け、その後、武力から文化へと動いた時代を生き抜いた政宗公に手を合わせ、新たな一年をたくましく生きるための御力を授かりたいものです。
愛宕神社は火伏、防火の神様として信仰されています。御祭神は火の神である軻遇土神(カグツチノカミ)。全国の愛宕神社の総本社は京都市最高峰の霊山、愛宕山に鎮座する愛宕神社です。
もともとは修験者が集まる神仏習合の修験の霊場としても栄えたと伝えられています。江戸時代には「伊勢には七度、熊野へ三度、愛宕さんへは月参り」といわれ、庶民の信仰を集めました。仙台の愛宕神社も愛宕山の頂上に鎮座。東に太平洋、西に蔵王連峰、 南に大年寺山(伊達家四代以降歴代霊廟)、北に栗駒山、眼下に広瀬川が流れ、仙台の街を一望出来る景勝地です。冬の澄んだ空気と美しい景色に、心が一瞬にして祓い清められるようです。
配神として天照皇大神、豊受大神、大物大神、大山咋神、大国主神、速玉男神、伊邪那岐神、伊邪那美神等、そうそうたる神々をお祀りしていますので、あらゆる願いを聞いてくださるでしょう。境内には崇敬者の寄進により遷宮遷座された木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)をお祀りする産霊神社があります。神社に設置している色とりどりの「結こより」を結ぶことで、神様とのご縁が結ばれ、一層の御神徳が得られるといわれています。願いを唱えながら心を込めて結びましょう。また、愛宕神社は辰己歳生一代守護の御神徳を持つ神社としても有名です。
「お稲荷さん」といえば赤い鳥居と狐を連想しますが、岩沼に鎮座するお稲荷さんは文化9(1812)年の建築である立派な随身門、美しい彫りが施された宮城県指定有形文化財の向唐門、社殿の佇まいも落ち着いた日本三稲荷のひとつに数えられる霊験あらたかな神社です。
御祭神は「倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)」「保食神(ウケモチノカミ)」「稚産霊神(ワクムスビノカミ)」。衣食住の守護神として人々の崇敬を集めています。御祭神名につく「ウカ」「ウケ」は古く食物を意味する言葉。また「稲荷」は「稲成り」「稲生り」の意味でしたが、神様が稲を荷なっている姿でイメージされるようになり、「稲荷」の字があてられたと考えられています。お稲荷さんは農業の神様であることはもちろん、衣・食・住や生成発展などをつかさどる広大無辺なる御神徳を授けてくださる「福神さま」。特に、竹駒神社の創建の縁起にかかわる飛び跳ねる霊狐は口に稲荷大神の司る「稲穂」と、堅く閉じ塞がれているものを導き開く「鍵」をくわえ、五穀豊穣と開運招福をもたらすといわれています。
地下通路を通って命婦社(みょうぶしゃ)・奥宮へ。命婦社は稲荷大神の神使である神狐をお祀りした社です。さらに奥へ進むと、奥宮が厳かに姿をあらわします。平安の昔の承和9(842)年、京都伏見稲荷大社の霊峰稲荷山三ケ峰より御祭神を勧請されました。伏見稲荷大社の背後に鎮まる山と同じ空気をまとう神域で、静かに神様と向き合うひととき。身が引き締まる思いがします。
陸奥国一ノ宮の格式を有し、全国から篤い崇敬を集めている「鹽竈神社」は、不入の森として護られてきた一森山に鎮座する、塩竈市のシンボルともいえる神社です。
主祭神は、兄の海幸彦の大切な釣り針を失くした山幸彦に竹籠の小舟をつくり、海神の宮へ案内したとされる鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)。
神社といえば正面に主祭神をお祀りするのが一般的ですが、鹽竈神社は正面に鹿島・香取の神を祀る左宮と右宮、向かって右手に主祭神である塩土老翁神を祀る別宮があります。
鹿島・香取の神は、伊達家の守護神。藩主が仙台城から遙拝出来るよう配され、海上守護の御力を持つ塩土老翁神に海難を背負って頂くよう、松島湾に背を向ける形で社殿が建てられたと伝えられています。まずは、右手の別宮から参拝しましょう。
塩土老翁神は潮の満ち引き、人の生死を司る、ひいては安産の神さまであり、人生に迷い、立ちすくんだ時に力を授けて下さるお導きの神さま。心機一転頑張りたいと願うなら鹽竈神社へ。気枯れが穢れにつながります。強力な祓いの力を秘めたいにしえの神さまのご加護をいただきましょう。
志波彦さま、鹽竈さまのご神徳のもと疫病退散を祈念した特別な護符、神前よりおさげした御神塩もおすすめです。御神塩はことにふれた時の祓い、玄関先などの盛り塩としてお使いいただけます。
大崎八幡宮は仙台藩祖・伊達政宗公によって創建され、仙台の総鎮守として、厄除け、除災招福や必勝、安産の神さまとして篤く崇敬されています。
遠くから眺める社殿は落ち着いたものですが、近づくにつれて朱と金に飾られた垂木(たるき)、鳳凰や麒麟、水鳥や花々と極彩色で埋め尽くされた軒下の装飾が見えてくるようになると、その美しさに息を飲みます。
政宗公は戦によって荒廃した町、希望を見失った人々の心を立て直すため、伊達家で生まれた伝統的な文化を土台に、当時の文化の粋である豪華絢爛な桃山文化を用いて、大崎八幡宮等の神社仏閣を創建し、七夕まつりといった年中行事の復活に力を注ぎました。
願いが書かれた色とりどりの短冊が笹竹に結ばれ、流麗な桃山様式の社殿の前に飾られる大崎八幡宮の七夕祈願祭は、仙台の夏の風物詩となっています。
2021年にかけられた願いは、年が明けて行われる正月送りの行事、松焚祭(まつたきまつり)で焚き上げられます。神社が鎮座する鎮守の森の美しさも大崎八幡宮の魅力です。
大崎八幡宮の正面にある一之鳥居をくぐると、石造の二之鳥居が見えてきます。四ツ谷用水掘りに架かる橋を渡り、生命力の象徴とされる常緑樹の榊に抱かれた石段をのぼって参拝するもよし、ひっそりとした北参道も春夏の青々とした緑、紅葉に染まる秋、凛とした空気漂う冬と、四季折々の風情を味わうことが出来ます。
松尾芭蕉がのぼったと伝えられる出世の階段。
長い時の中で戦火や地震を経てきた365段の石段を、一段一段のぼることは、人生を積み重ねていくことと一緒なのでしょう。
どんなに苦しくても一歩一歩、歩みを進め、頑張り抜いた先に出世が待っている。そう思うと、長い石段に息をきらしながらも「さあ、がんばるぞ」と力が湧いてきます。
桜の名所としても知られる亀岡八幡宮は、政宗公より遡ること十七代、伊達氏の始祖である伊達朝宗(ともむね)公によって創建されました。
苔むした階段をのぼりきると、木々の向こうに仙台の美しい街並みを望むことができます。
伊達藩の氏神とされる亀岡八幡宮は、創建から八百余年、伊達氏代々、感謝の祈りを捧げ、藩の安泰、領内の平穏、民の安寧を祈ってきました。仙台藩の軍旗にもその名が記されています。境内に流れる空気は穏やかでやさしく、心癒される神社です。
取材に伺った際、宮司様が話して下さったのは、感謝の心の大切さでした。
「今使っているペン、ノート。あなたが自分で作ったものは何もないでしょう? そう思えば、生活のすべてが御神徳。おはようございます、いつもお世話様ですと、私たちが普段何気なく交わしている挨拶も感謝の心。神さまと人、人と人、良い関係を築くためには気持ちの表し方が大切ですよ」、と。
2022年という新たな一年。出世の階段をのぼって気持ちの良い汗を流し、感謝の祈りを捧げることから始めませんか。もう頑張れないと心が挫けそうになったときは、365段の石段をのぼって、神頼み。きっと、心が元気になります。
宮城県最古といわれる鳥居をくぐると、伊達家一門奉納の石燈籠が立ち並ぶ表参道の石段。隋神門から後ろを振り返ると、南北にまっすぐに延びる宮町通りが一望できます。
神社と共に歴史を刻んできた美しい街並みの風景も、仙台東照宮の魅力のひとつでしょう。
江戸時代から明治へと時代が移行する中で、存続の危機を迎えた仙台東照宮を救ったのは、この宮町を中心とする仙台市民の変わらぬ信仰心でした。
この地に祀られているのは、二百六十余年にわたる平和な時代の礎を築いた徳川家康公。
白木造りの質素な拝殿の前に立つと、その清しさに心が洗われるようです。
拝殿の奥に秘する本殿には、まるで絵巻のように彩られた天女や龍の彫刻が光を放ち神々しいまでの美しさを放っています。それは、家臣を大切にし、自らの華美や贅沢をよしとしなかった、神となった家康公のためだけに施された美。私たちは直接拝することが出来ません。そのゆかしさもまた、東照宮という神社が放つ奥深い魅力となっています。
東照宮を参拝の際は、家康公の「御遺訓(ごいくん)おみくじ」を引きましょう。人生の指針となる家康公の言葉が記されています。東照宮の一日のお務めは、家康公の御遺訓の奉唱から始まるそうです。
新年の始まりに、皆さんは家康公からどんなお言葉を賜るのでしょうか。
清らかな湧水をたたえた仙境の地に佇む古社には、日・月・星の神々が祀られています。
日は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月は月読神(つきよみのかみ)、星は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
天之御中主神とは、天地(あめつち)がはじめて開けたとき、神々の世界の高天原(たかまのはら)に最初にあらわれた神さまであり、天の中心の神さまと言われていますが、天之御中主神を祭神とする神社は仙台でも珍しいでしょう。
青麻神社は全国に約190の分社があると言われていますが、宮城県の青麻神社はその総本社です。
こちらの神社は清らかな湧水が有名で、皆さんペットボトル持参で参拝に訪れます。
境内の木々が放つ濃密な空気の中に神々の気配を感じることができます。
取材で伺った際、宮司様が「何のために生まれてきたのか、真剣に考えたところで生きた結果が生きた意味になるのでしょう。実際にお参りにいらしていただければ、きっとそれぞれに受け取ってもらえる何かがありますよ」と話していらっしゃいました。
青麻に輝く日・月・星の神々に祈りを捧げるひととき。
何も願わず、何も考えない無の時間を意識して、流れる風や匂い、聴こえてくる音に耳を澄ませてみましょう。そこで感じる思いこそが、神さまからあなたへ贈られるメッセージかもしれません。
岩沼市に鎮座する金蛇水神社は、水の神である水速女命(みずはやめのみこと)をお祀りしています。
金蛇水神社というと「金運」「蛇」の神社と認識している方が多いと思いますが、花、人、万物を潤す水は命の根源であり、人々はいにしえより水神さまに厄除けや病気平癒を願ってきました。水神様が蛇神様とされるのも、脱皮を繰り返し、命を更新していくことによるもの。金蛇水神社は、他にもさまざまな性格を持ちます。
商人にとっては商売繁盛、金運円満の神、沿岸部の漁師たちにとっては海上安全、大漁祈願の神さまであり、今では少なくなりましたが、宮城県南部から福島県の内陸部では養蚕の神さまとして信仰されてきました。
金蛇水神社は氏子を持たない崇敬神社であり、多くの人々の篤い信仰により今日まで受け継がれてきた霊験あらたかな神社です。
金蛇水神社を参拝し、何度も宝くじが当たったがいるとタクシーの運転手さんに伺い、取材時、「豊かに生きる」ということについてお話を伺いました。
宮司様は穏やかな笑みを浮かべ、「人にはさまざまな欲望がありますが、人は他者のために存在します。そこに生きがいを見出し、生きていくもの。だからこそ人類は今日まで栄えてきたのではないでしょうか」と話していらっしゃいました。
多くの人の支えがあってこその今の自分。すでに手にしている豊かさに感謝をして、祈りを捧げましょう。
初めて訪れたのに、どこか懐かしさを感じる神社ってありませんか?
広瀬川のほとりに佇む「旅立稲荷神社」、通称「旅立ちさん」は、まさに故郷にも似たやさしい空気を漂わせる神社です。
おじいちゃんとおばあちゃんのような、味わい深い表情の狛犬様に心ほっこり。
境内から土手へと続く階段をのぼると、悠々と流れる広瀬川が眼前に広がり、犬を連れてのんびり散歩を楽しむ人の姿も見かけられます。
実は、東京方面に向かう新幹線の中から、旅立さんの赤い鳥居と社殿が見えます。
知らず知らずのうちに旅立ちさんに見守られ、旅をしてきたのだと思ったら、懐かしさを感じる理由が分かりました。
京都の伏見稲荷大社の御分霊を祀るこちらの神社。名づけ親は、かの伊達政宗公です。
初めて上洛する際、ここで旅の道中の安全を祈願したと伝えられ、無事に着京できた神恩に感謝して旅立大明神という名を贈り、伊達家上下の際は必ず旅の安全を祈るようになりました。
寛永13(1636)年、政宗公は旅立大明神に見送られ、江戸へ向かい、約1か月後、桜田屋敷で生涯に幕を下ろしました。人生の旅を終え、生前さながらの大名行列で仙台の地へ戻ってきた政宗公を迎えたのも旅立大明神、旅立ちさんでした。
その名の通り、旅行はもちろんのこと、就職、転勤、結婚など人生のあらゆる旅立ちの時を守り導く神さまです。
旅立ちさんでは300円で、旅先から無事カエル、幸せカエルといった願いが込められたお守りを授与していただけます。旅行へ出かける予定のある方や、仕事で出張の多い方など、参拝されてはいかがでしょうか。
旅立稲荷神社では年が明けた深夜12時からお守りとお札を授与していただけます。
気仙沼に鎮座する早馬神社創建にはドラマがありました。
源頼朝公の死後、第一の家来とされた景時(かげとき)公が命を奪われ、その兄である梶原景實(かねざね)公が世を憂いながら鎌倉から逃げ、唐桑の石浜に立ち寄った際、どことなく鎌倉に似たこの町に懐かしさを感じて庵を建て、頼朝公と景時公の御影を安置し、菩提を弔ったのが早馬神社の長い歴史の始まりと伝えられています。
その後、代々梶原家が守り継いできた海の神社は震災時、避難場所となり、町の多くの人々の命を守りました。
早馬神社の御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
安産・子育てに御利益のある神社として、また、勝ち馬必勝、受験・仕事・衣食住にまつわるすべてのことが万事『早くうまくいく』御神徳があるとして厚く信仰されています。
奥宮はレジャー施設「漁火パーク」から20分ほど登った、早馬山の山頂に鎮座します。
360度の大パノラマが広がる奥宮から眺める島々、青い海は時間や季節によって表情を変え、自然に宿る神々の力を感じることが出来るでしょう。
五行思想に基づく早馬神社の5色(赤、緑、黄、青、白)を重ねて切り込んだ御幣束は、白一色が一般的である伝承切り紙のなかで、鮮やかな色彩に心が華やぎます。郵送にての申し込みも受け付けています。
毎年1月1日には歳旦祭が行われ、県内外から多くの参拝客訪れます。
また、一貫して、生と死をテーマにした詩を書き続けた詩人 梶原しげよ(かじわらしげよ)は、早馬神社の社家に生まれました。その功績を讃えるため、2017年の秋に生家である早馬神社の境内に「梶原しげよギャラリー」が開館。風や空と自由に話す詩人といわれたしげよの美しい言葉の数々に触れることが出来ます。年中無休となっていますので初詣と合わせてお楽しみください。
金華山は島全体が聖地とされ、三年続けてお詣りすれば、金に不自由はさせますまいといわれ、金運、開運、商売繁盛を願う人々が数多く参拝に訪れる黄金山神社が鎮座しています。
鮎川港・女川港より定期船に乗って、島へと向かう時間から参拝は始まります。金華山への航路がもはや参道です。
鉱山の神である金山毘古神 (かなやまひこのかみ)・ 金山毘賣神 (かなやまひめのかみ)をお祀りしている黄金山神社は神仏習合時代、辯財天 (べんざいてん)を守護神として、その名を金華山大金寺と称し、多くの信仰を集める女人禁制の地でした。
明治2年、神仏分離令により、仏号を除き黄金山神社となり、女人禁制も解かれました。
辯財天のお遣いが蛇であることから、巳の日を選んでお詣りに訪れる人も多く、六十日毎に廻る「己巳(つちのとみ)の日」には、10時より祈弁天堂にて市杵島姫神(仏号辯財天)様の御縁日祭が行われています。令和3年の己巳(つちのとみ)の日は1月21日木曜日です。
金華山へ参拝に訪れたら、ご祈祷をおすすめします。神社界では珍しく護摩の火をつかう大護摩祈祷は、神仏習合時代の古くから修験者により盛んに行われ伝わるもので、護摩の火によって災難を追い払い、焼滅を計り、新しい運勢を生じさせることによって祈願成就を願うというもの。
護摩木に火がくべられ、祝詞が奏上されるひととき。大きく燃え盛る炎に心と体のよどみが一気に清められ、心の中の願いに命が宿った気がしました。
黄金山神社では元朝詣り、元日の午前零時より新年を寿ぐ(ことほぐ)祭典を斎行。また、1日から7日迄の一週間を七朝祭祭典期間として、特別に大護摩祈祷をうけられた皆様を、御本殿昇殿参拝にご案内します。