写真=池上勇人、齋藤太一、呉島大介 TEXT=ナルトプロダクツ、川野達子、編集部
きっぱりとした木目が美しいカウンターは、樹齢150年の一本杉。塗装なしのこの清浄たる風合いと香りを守ることは、大変に難しい。しかしそれを守ろうという気持ちが、そのままもてなしにも映るのだ。石巻の大店『竹寿司』に生まれ、父をはじめとする熟練の職人たちに囲まれた幼少期だった。10代の頃には仕込みなども手伝うようになっていたが、いちどは店を離れ全く異なる職に就いたという。しかし22歳の頃、カウンターに立つ商売に魅力を感じあらためて父の薫陶を受けた。老舗の仕事と、新たな江戸前を模索する我流の仕事と。伏見 悠さんの握りは、セオリーから完全に自由なコースで展開する。
大正10(1921)年の創業から100年を経て変わらぬものは、「お客さんを愉しませなさい」という初代・福島与吉さんゆずりのこころ。そのこころあればこそ、100年を機に『与五郎壽司』は前代未聞、唯一無二のコーススタイルを店の主軸に置いたのだ。現在の親方である渡辺直紀さんは、初代の直系としては最後の弟子にあたる人物。江戸前の仕事に精通しながらも、「人と同じことをやっていてはつまらない」と日々研究の手を休めない職人気質だ。かねてよりの熟成への取り組みは、かつては不可能だとされていた貝にまで極まった。さまざまな種が新たな熟成の旨みや風味を得たことで、友となる酒の幅もぐんと広がった。いや、「広がる」では足りない。もはやあらゆる枠を飛び越え、シャンパーニュやクラフトビール、赤ワイン、ウイスキーまでペアリングが楽しめるものとなったのだ。
現在、すしはまごうことなきご馳走だ。しかしそのご馳走を「いつもの一軒」の気軽さで楽しめるのは、やはり友重祐介さんの軽やかで自然体な佇まいが一の理由だろう。友重さんが『鮨 仙一』の門を叩いたのは31歳のとき。それまでいくつかの店の厨房を経験してきたが、すしの師と呼ぶのは親方である山田定雄さんただ一人だという。「優しいけど厳しい、厳しいけど優しい親方でした」と振り返る友重さんが選んだ新天地は、国分町のど真ん中。仙台朝市の阿部長商店、金華山、阿部鮮魚店の3つを廻り、少しずつたくさんの魚を仕入れ、細やかに下拵えの手を入れ、つまみと握りを10品以上たっぷり織り込んで6000円から、という懐に優しい値段で楽しませてくれる。
たとえ一見の客だとしても、カウンターをぐるりと見渡せばどんな店なのかがほぼ分かる。それがすし屋のいいところでもあり、怖いところでもあると思う。初見のカウンターで分かること。それは掛けられた声の表情だったりしつらいの好みだったりゲストの顔ぶれだったり。それはすべて店の中心たる親方の気質を映すものだ。『鮨 和こう』を訪れた時の第一印象、その清潔感と居心地の良さは、池田雪彦さんを映す鏡そのものだった。国分町のすし職人を数多く育てた「やまこう」の厨房に入り、平成17年に独立。『鮨 和こう』を開いて6年目となる池田さん。開店した時のままの美しさを保つ檜のカウンターやぴかぴかの厨房、気さくに細やかに気遣うけれども踏み込み過ぎないゲストとの距離感が、何年経っても誠実で心地よいのだ。
花京院のビルに囲まれたエアポケットのような場所にその暖簾が掛かったのは、初雪から間もない令和3年12月10日のこと。清廉なその佇まいがあの『鮨 仙一』の息子さんの店だと知って、大いに驚き喜んだものだ。札幌や銀座の名店に学び、父・山田定雄さんの薫陶を受けた山田恭大さん。「両親から学び、継ぐべきだと思ったいちばんのものは〝気持ち〞でした」そう話す恭大さんは、自分の名に込められた両親の思いに改めて気づき、「恭しく、大らかに」を店名に掲げたという。継いだ気持ちを表すのは店名だけではない。すし飯もまた、仙一ゆずり。登米にある母の実家が作ったササニシキを、使う分だけその都度精米し炊き上げる。魚の仕入れも、父ゆずりの縁と信頼あってのものだ。『鮨 仙一』の閉店を、誰もが惜しんだ。だからこそ『鮨 恭大』の開店を多くの人が応援し、良質な食材を手配してくれる有難さをひしひしと感じるという。
「ウチの推しはマグロ。県内一おいしいと思っています」。店主・前田恒平さんの言葉に力がこもる。しかしすぐさま「マグロにこだわっているお店は、ほかにもたくさんありますよね」と照れ笑いを浮かべ言葉をつなぐ。地元仙台で江戸前ずしの修業を積んだ前田さん。震災後に渡米しニューヨークで3年、すしを握った経歴を持つ。独立し、祖父の代から続く『鮨みずき』を現在の場所に移したのは2015年。以来3代目として、2代目の父と共に店に立つ。カウンター越しに見る茶屋札には〝大畑〞の記載。そして買い付け業者名『やま幸』とある。やま幸は、豊洲市場で日本一との呼び声高いマグロ仲卸専門店。全国の名店が取引先に名を連ね、職人たちも厚い信頼を寄せる。そのやま幸から、前田さんは兼ねてよりマグロを仕入れたいと熱望してきた。「マグロはすし屋の花形ですからね。最高にうまいマグロを味わってもらいたい、その味に感激してもらいたいと思うのは当たり前のことです」
「巧スタイルでいきたい」のだ、と彼は言う。父から受け継ぐ江戸前の技を背負いつつも、自分にしか握れない無双の握りを実現したいのだと。創業は昭和46(1971)年。父である佐藤成人さんが興し、自らの名と息子である巧さんの名から一文字ずつ取って『成巧寿司』と名付けた。「すし屋を継げ、と言葉では言わなかったけれど、小学生でご近所への出前持ちもしたし、中学1年には穴子の下ろし方を教わりましたね」と巧さんは振り返る。しかしまっすぐにすしの道へと進んだわけではない。調理師学校で料理を学び、市井でも日本料理店や割烹に学んだ。父の立つ漬け場に共に立つようになったのは28歳だったという。今年5月、『成巧寿し』は大きな変化を起こした。『成巧寿司 東口店』の開店に伴い、東口には成人さんが、宮町の本店には巧さんが立つこととなったのだ。仕入れや仕込み、50年の美点は共有しつつ、巧さんは慣れ親しんだ宮町の店で「巧スタイル」の闊達を展開している。
『司寿司』としての長年の装いを一新、もてなしのスタイルも一新。新たに『仙臺中江 みうら』が新生を果たしたのは、つい先日の9月20日のことだった。三浦貴久さんが先代『司寿司』の親方のもとを訪ねた時、彼はまだ15歳の少年だったという。生い立ちを尋ねると「長くなりますよ」と笑ったが、そんな複雑な来し方など想像できないくらい、三浦さんの物腰は柔らかく明るい。師弟として、時には親子のように仕事を共にして四半世紀、5年ほど前から三浦さんが軸となり先代が勇退したという。一新の理由を問えば、「ほら、ビルの外壁が新しくなるから、ちょうどいいかなあと思って」とこともなげに言うが、これからの自分のすしを確立するためには、この思い切った刷新が必要だったのだろう。『仙臺中江 みうら』の新たなかたちは、つまみが7、8品と握りや巻物が13貫ほど楽しめる1万1000円のおまかせコースと、つまみもすしもさらに増える1万6500円のおまかせコースが主軸。しかし、平日に限りつまみと握りや巻物併せて18〜20品に1時間40分の酒のペアリングが付いた1万1000円のおまかせコースがあるのが実に魅力的。いわばこの限定コースは「すしやのおまかせをもっと身近に気軽に楽しんでほしい」という『仙臺中江 みうら』の良心とも言うべき存在であり、その内容に大いに驚いてもらい、深みに嵌ってもらおうという楽しい楽しい罠だ。
記事の内容はKappo121号(2022年12月5日発売)掲載の情報です。
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